白菜の出来不出来で家庭菜園の秋冬野菜の成否が決まる。
どんなに他の野菜が上手に出来ても、この白菜の葉が巻かなければ、秋冬野菜は失敗と感じてしまうのである。他の野菜は食べてみなければ良し悪しは他人には分からない。
しかし、白菜は葉が巻く、巻かないで、一目瞭然なのだ。だから、皆この白菜には気合を入れて栽培をする。盆も過ぎる頃から菜園仲間の間では『白菜は播いたか?』が挨拶代わりになる。
これは、戦いの合図なのだ。

戦場は東京ドーム4倍のM農園。約70組が菜園生活を楽しんでいた。
だが、秋になると様相が一変し、白菜を巡る熱い戦いが始まる。この戦いに君臨する王者Nさんは春にも栽培する、白菜栽培の第一人者である。
農薬、ネット類の園芸資材は使わない伝統的な無農薬栽培である。虫を見つけては丹念に潰すのである。(Nさんには虫について教えていただいた)作った白菜を故郷の四国に10年以上送り続けている。
その白菜は漬物にされ、お寺に献上されているそうだ。(本格的なキムチの作り方も教わった)
俺は約6年前に、『家族が喜ぶ野菜を作る』為だけに家庭菜園を農園の片隅で始めた。
だが何故だか白菜栽培の戦いに巻き込まれていったのだ。俺は盆過ぎに富み風(サカタ)の種を平鉢に播き、9月中旬頃にマルチを施した畝に白菜の苗を20株定植した。
王者は、ゆっくり参戦する。ポットで育てた白菜の苗を、石灰、鶏糞の施された畝に10月上旬に定植する。この時期には、ウイルス病も心配なく虫も少ない合理的な無農薬栽培法であった。Nさんはこの栽培法で10数年君臨してきた。
この年は秋から数十年ぶりの寒さであった。全国的に路地栽培の野菜の不作が伝えられた。M農園でも白菜の生長に欠かせない温度が天から与えられず、巻かない白菜ばかりになったのだ。
王者も信じられない惨敗であった。早播きした、古老のFさんが30%の成功率を誇り、尊敬の眼差しを受けていたのであった。俺は19株巻いた白菜を得て95%の成功率であった。でも、ビギナーズラックであると思われていた。
よく盆。また、戦いの合図が始まった。
俺は存在感を示すため大きく育つ「豊風」とタケノコ型白菜「緑搭紹菜」を栽培した。
昨年のリベンジとばかりに、俺に対抗心を燃やす二年目のAさんは50株、家庭菜園に夢中なKさんは100株、王者のNさんも、100株育てると情報通のMさんからもたらされた。
俺は、『白菜は作りすぎても食べきれない、虫つきは、「おすそ分け」も難しい』ので10株程度とした。これを知った白菜をこよなく愛する王者Nさんに怒られた。
M農園ではマルチを一切しない、伝統栽培であったはずが、畑を見回すとマルチをする人達が現れた。どうやら、昨年、俺の成果がマルチにあると見た奥様方の口コミのようであった。
勿論、王者はそんな邪道はしない。そのシーズンは暖かった。白菜の大豊作であった。『白菜はいらんかね~?』とM農園に木霊した。
次の年の梅雨、王者Nさんが小屋と畑を明け渡し、忽然と姿を現さなくなった。
この年の盆からの、戦いの合図が『M農園は売却された』に変わったのである。秋冬野菜の収穫までは猶予があることを知った。
年末、すき焼きの材料として、下仁田ネギと白菜を収穫にM農園に行った。
人影も無い、寂しい農園で新弟子を連れたNさんを見かけた。その弟子が私の白菜を見て『巻いてる?』とNさんを見て言うのである。
Nさんが『ネットしたのか?』と俺に呟いた。『えぇ・・・』と答えたのがNさんと最後であった。今は、それぞれ別々の農園で家庭菜園を行っている。
今、俺は、住んでいる社宅のベランダから、「好評販売中」の旗が虚しくゆれている、かつてのM農園を見ている。「兵どもの夢の後」。「山の農園」に転居してからは、戦いの合図は聞けなくなった。昨シーズンは凄く寒く、「巻かない白菜」ばかりを見た。今シーズンは温暖化と言われるほど、高温でどこも大豊作であった。
世は温暖化と叫ばれているが局地的に見れば気候の温度異常である。数十年同じ農法で君臨していたNさんにも厳しい時がやって来た。Nさんはこれからも自分の農法にこだわって、白菜を栽培していくだろう。
俺は・・・・『家族も喜ぶ野菜を作ればよいのだ』。その時の状況にあわせて。
『白菜作るべし!』
次回『ブログの端境期(休み)』
パパへ ☆コメント☆
戦いだけじやだめだキャラクターが少ないNさんとMさんばかりじやだめだ
家族をいれろ・・・・おやすみ いれろいれろ!
返信 これは女、子供には解らない「ハードボイルド」の世界だ。卒業シーズンでもあるし。
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