
品種にこだわって家庭菜園をしていると、このブログで公言してきた。でも、ここ数年はあまり新しい品種を試していない。
昨シーズンミニトマト「アイコ」の新品種「イエローアイコ」がタネから売り出されたとき触手が動いたが諸事情で諦めた。今年こそはと栽培した。
「イエローアイコ」のキャッチコピーはマンゴー味である。3月上旬大玉トマト「麗夏」と「アイコ」とこの「イエローアイコ」のタネを平鉢に蒔いた。「イエローアイコ」は他のヤツらより早く芽を出した。さすが今シーズンの主役。満を持しての登場と俺は喜んだ。
4月下旬、他のトマトと一緒に「イエローアイコ」の苗を畑に植え付けた。栽培は前にブログにしている「アイコ栽培ポイント」とほぼ同じだ。
7月上旬、これも他のトマトに先駆けて黄色く色づき、収穫を開始した。変化の激しい時代 スピードも大事だ。それにマンゴー味と言うのがいい。このタネが売りだされたのは 芸人出身の知事が「マンゴー」を宣伝する前だった。
「サカタのタネ」の先見の明に感心し、俺はこのタネ屋の極小株主にもなっていた。
早々にマンゴー色に色づいた「イエローアイコ」を収穫して家族と食べて感想を聞いた。『マンゴー食べたことがないので分からない』と本物の高価なマンゴーを買ってくれと言わんばかりの家族に『これがマンゴー味だよ』と俺は言ってその場を収めた。
ところが、数日後、ガス屋主催の料理教室でマンゴーを女房が食べてきた。
『本物のマンゴーは美味しかった。 あれはマンゴーじゃないわね』と台所の片隅に置かれた「イエローアイコ」を見て自慢された。それを聞いた末娘も本物のマンゴー食べたいとホザイタ。
その翌日夜、帰宅すると『マンゴー美味しかった。 「イエローアイコ」はトマトだよ』と末娘に言われた。
不思議に思っている俺に、マンゴー入りのプリンをスーパーで見つけ買って、食べたことを女房が教えてくれた。
「イエローアイコ」の不人気に株主として、一抹の不安を感じた俺は山に持って行くことを決めた。「アイコ」信者になった山仲間の三太郎ならこのよさを分かってもらえると思ったのだ。
奥羽山脈最後の仙境と言われている「和賀岳」と山容秀麗な「鳥海山」を「イエローアイコ」と共に目指すことにした。
和賀岳は三太郎が巨木の森であることを知り、鳥海山と合わせて登ることになった山である。
甘露水登山口から頂上をピストンで登る計画だ。朝の日を浴びながら和賀岳頂上を目指して登りはじめた。ミズナラ、ホウノキ、トチノキから、ブナの森へと落葉樹の巨木群が続いた。
木の大きさに圧倒された。三太郎と落葉樹と針葉樹の成長戦略の違いについての「うんちく」を語りながら高度を稼いだ。
最後の水場 滝倉の沢で用意していた「イエローアイコ」をリックから取り出し、「マンゴーアイコ」と言って三太郎に食べさせた。
『マンゴー食べたことがないので分からない』と賞賛を求める俺に家族と同じ返答だった。食べ比べてもらうために「アイコ」も渡したところ、「こちらも皮が硬い」と言われてしまった。
三太郎は盲目的「アイコ」信者であったはずであったが?
実は昨年の秋、北アルプスに行ったときに食べた「アイコ」が美味しくなく、洗脳が覚め始めていたのかもしれないと思った。『昨年は低温で、今年は雨続きで、美味しくないのだ』と原産地の説明も加えて冷徹な批評家に論理的に俺は言い訳した。
まあ、どんなに相手が俺の論に納得しても、ここでは味は変らない。そこで、「イエローアイコ」が美味しくなるチャンスを待つことにしたところ、きれいな沢に住む虫が集まってきた。
アブである。何故か俺ばかりを狙う。俺は三太郎をおいて駆け足でその場を逃げ出した。
いくら逃げても追いかけてくる。森を抜けて稜線の草原に広がるお花畑の途中で振り切った。
いつの間にか薬師岳山頂まで達した俺は高山植物を愛でてゆっくり登る三太郎を待つことにした。
足元が痒い。アブに刺されていた。それで味をしめたアブに俺だけ狙われたのだ。薬師岳で、また「イエローアイコ」を三太郎と食べた。

小杉山、小鷲倉の鞍部とお花畑の稜線を経て和賀岳頂上に到達した。頂上は高山蝶とトンボが群がる花の楽園であった。そこで「イエローアイコ」を三太郎と食べた。
山に登った8月上旬は、日本中荒れていた。俺達のいる秋田地方だけ雨が降っていなかった。雲行きが怪しくなってきたので頂上を後に、来た道を引き返すことにした。
晴天ではなかったが蒸し暑さもあり、俺達は用意してきた水筒のスポーツドリンクの水を飲み続けた。俺より水の消費量の多い三太郎は僅かの水を残すのみとなった。滝倉の沢までは、1時間以上もある。
俺は小杉山で最後の「イエロアイコ」4粒を取り出し、全て三太郎に差し出した。『美味しい… …』という言葉を聞いた。「イエローアイコ」が「マンゴーアイコ」に変った瞬間だった。
薬師岳から水場を目指して下っていったところアブが迎えてくれた。アブはきれいな沢で生まれ育ち、住み、水を求めてやってくる動物を狙う。『「職住接近」という我々日本人とは違う人間的な生活を送っている』と水場が近くなった嬉しさからアブを称えるような話をした。
状況が変れば評価も変る。現金なものだ。
我々、人間は。
甘露水登山口で迎えに来た車で宿に戻った。その後、雨が降り、翌日も雨が降っていた。秋田から山形県境にある鳥海山に向かった。

登山口の鉾立てに着くと完全に雨があがり、翌日にはご来光を眺め、頂上を極めた。岩と雪渓のある花の鳥海山を十分に楽しんで、滝の湯に向かって下山した。その翌日帰路についた。
家に着くと新たに生協で注文したマンゴープリンを食べながら末娘が笑顔で迎えてくれた。俺も一緒にそれを食べた。
後日、三太郎家に夏野菜を送った。御礼のメールに『マンゴー … 』とあった。
我々は自分の都合のいいように物事を考える。
自分の判断と知識と労働によって
美味しい野菜が出来た。
山の頂上を極めた。
それを自分の、当然の努力の成果とする。
でも、本当は、たまたま運がよかっただけなのかもしれない。
天候に恵まれたという。
謙虚に生きなければ。
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