オクラ

2015年8月23日 (日)

赤オクラ料理あれこれ

  お盆前後、娘達や、親戚が我が家に集まった。女房は取れすぎて困っていた赤オクラを俺の知恵を加えて料理でもてなした。

 

 先ずは野菜にうるさい次女にはオクラ冷やし中華攻撃である。この暑さで短い一生を終えてしまったキュウリの代わりに焼オクラを乗せたのである。茶豆での敗北をリベンジした。

 

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 次に朝食である。長女は家にいたころ夏は俺の栽培した大玉トマト「麗夏」とピーマンでピザトーストを作って食べていた。ピーマンの代わりに赤オクラを使わせた。オクラは火の通りの判断が難しいのだが赤から緑に変わる見た目の弱点を利用した。オクラをチーズの上にのせ、緑に変われば食べごろである。パリッとして美味しい。この夏の朝の定番になった。

 

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 親戚一同には俺が育てた大玉トマト「麗夏」に赤オクラをドッサリ入れ大鍋で作ったオクラ・ラタトゥーユだ。昨年の初夏、トマトは実が出来ていなかったがズッキーニが取れすぎたので缶詰のホイルトマトでラタトゥーユを作って食べた。美味しくなかった。やはりラタトゥーユには俺のトマトだ。オクラは小さく切らずに存在感を残すと歯応えがたまらない。もちろん旬の生バジルをのせる。

 

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  赤オクラは収穫のピークを過ぎていった。俺の暑さから逃れたい超スピード収穫が災いして、オクラの頂上部を2株切ってしまい戦力ダウンさせたことも否定は出来ない。

 

 まだまだ、暑いが朝晩は時おり涼しい風が吹くようになった。夏も終わりである。放任栽培していた雑草さん達にお引き取りする時が来たようだ。

 

静かな我が家に戻っていった。

 

 

 

 

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2015年8月10日 (月)

毎日収穫が続く赤オクラ

 暑い毎日が続き、庭は雑草だらけである。涼しくなったらやればいいと自分に言い聞かせる日々である。でも、自分だけ自宅やプールで涼んでいるに、植物どもに、暑い思いをさせるのも気が引けるので最低限の水やりだけはしている。そんな俺を呼び止めるヤツがいる。オクラだ。 

 

 オクラ歴は10年以上になる。一度購入すると3年から4年タネを使う。長い付き合いになるのでタネ選びは慎重になる。今回は実が美しい、赤オクラ「島の恋」を選んだ。庭で栽培するので草花と調和するものにしたのだ(栽培法は昔、投稿した内容と同じなのでそちらを見てほしい)。

 

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 5月上旬、黒マルチをした畝の6か所にべた掛け不織布で鳥対策をしてタネを3粒ずつ蒔き、間引きしながら1本に育てた。7月上旬、黄色い花が咲き、すぐに赤い実をつけた。

 

 定番の湯がいて醤油で食べることにした。赤色は消えて普通のオクラの緑になった。栄養がお湯に溶けてもったいないと女房が言った。食べると粘々がない。外見は個性的なのに味はあっさり。まだ、暑くないのでオクラ本来の力が出ないのだろうと俺は女房と三女に言って納豆と混ぜて食べた。

 

 暑くなるに従い、スタンド仕立てで育てられたオクラは次から次へと美しい黄色い花をつけては、すぐに赤い実をつけていった。今までのオクラ以上にハイペースなのである。暑いからそうなのか、このF1品種が優れているかは分からない。

 

 オクラは大きくなると固くなって食べられなくなる。早い収穫が大事なのである。暑いのに俺は収穫に毎日、駆り立てられていった(写真は1日分の収穫量)。俺の希望的予想を裏切り、暑くなっても肝心の粘々感はなかった。

 

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 納豆は納豆だけ食べた方が美味しい。『こんなに出来るのだから主食として食べるほかない』と飽きてしまった三女に俺が言いているのを聞いた女房が焼オクラを出してきた。

 

 焼アスパラが美味しかったからだ。それにアントシアニンが逃げない調理法だからである。でも、毎日食べるまでに至らなかった。オクラが在庫として冷蔵庫を占拠し始めた。

 

 収穫が始まった大玉トマトと大量のオクラで「オクラ ラタトゥーユ」を女房が次に作った。トマト風味オクラだ。粘々感がないが歯応え感だけはオクラであった。単独で食べるより食べれた。こいつは一人では力を発揮できないがチームでは力を出すタイプのオクラであった。

 

 オクラ ラタトゥーユも飽きてしまったので、大量のオクラを使い「オクラ 中華丼」を作った。飽きると「オクラ カレー」、「オクラ シチュー」と続いた。今もオクラは絶好調である。まだ、まだ暑い夏と共にオクラとの格闘は続く。当分「オクラ ・・・・」が続く。

 

この週末、我が家の戦力が増強された。長女と次女が夏休みで帰省してきた。

 

そんな暑い夏である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2008年9月12日 (金)

オクラとモロヘイヤ・・・第37話

数年前の秋の終わりに、花博にいった。そこでハイビスカスのレモン色の大きな花に魅せられた長女に栽培をせがまれた。

 

その頃はガデーニングよりも家庭菜園に夢中だったのでハイビスカスの栽培は、気乗りはしなかった。同じアオイ科のオクラの花を畑で見ればよいと言ってごまかしてやり過ごしたのだが、亜熱帯のハイビスカスがこの時期まで咲き誇っていることを奇異に感じた。改めて温暖化がここまで進んでいたのかとの認識を深めた。

 

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そのオクラだが、レモン色の大きな花をつけるとすぐに実に変わる。実の成長があまりにも早いので、つい取り遅れ、魔女の爪のようにさせてしまう。そうすると硬くなって食べられない。だから畑に行くと必ず小さな実でも全て収穫するようにしている。

 

それでも収穫遅れが出る。で、1回の収量が少なくなるオクラは他の果菜類とは違い10本以上は栽培するようにしている。収穫専門のプロがいると聞くがなるほどと思うしだいだ。

 

こうやって淡々とオクラの収穫のポイントを話しているがご多分に漏れずオクラ栽培も最初は上手くいかなかった。

 

転勤で内房に引っ越してきて家庭菜園を始める前に、社宅の花壇でオクラ栽培を始めた。オクラは花も綺麗で実も好きだったので花壇があったらぜひ、育てたい植物だった。同じくオクラ好きの次女に200本は収穫できると豪語して始めたわけだが結局2本収穫しただけだった。

 

1袋蒔いたタネは大方、鳥に食べられ、発芽した芽はダンゴ虫達の餌食になり、土の改良も施していない、日当たりの悪い、花壇で唯一生き残った1株は全力を尽くして2本結実した。収穫はそれだけだった。

 

これを次女と分け合って食べた。いまだに、オクラの季節になると彼女に2本しか出来なかったことを言われる。

 

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その後、農園が借りられるようになりオクラを本格的に栽培をした。タネ播き後、畝に不織布で被い鳥対策とした。

 

経験の浅かった俺は、当時は苗数も少なめで、収穫しながら下葉を刈りとる栽培法を知らなかった。結果まともに食べられるオクラは20本程度にとどまった。いつの間にか公約になってしまった本数には遠く及ばないしまつだ。

 

 でも、そんな俺を救ったのはエジプト生まれの緑黄色野菜モロヘイヤだった。モロヘイヤという名はアラビア語で「王様の野菜」という意味でクレオパトラも常食したと言われたものだ。いわゆる美人の素だ。ヌメッとした感じがオクラに似ている。醤油をかけてご飯にのせるとオクラのようなのだ。

 

 秋になると出来る果実は毒性があるので食べられない。だが、そこがまたいい。料理はつくれなくとも物語は作れる。

 

「王家の紋章」の歴史漫画に興味を持ていた娘達にとって、毒を持つ王様の野菜は古代の恋とロマンとそれに陰謀を思い馳せさせる。オクラから注意をそらせるには、それで十分だった。

 

その間、俺は五角形オクラから丸型の島オクラ(沖縄)に品種を代え、いつの間にかに食べきれないほど収穫できるようになった。

 

年によっては株の背丈も2mも超え、梯子をだして収穫するまでになっていたのだ。

 

一方、モロヘイヤは料理の下準備に手間がかかり、女房と一緒に葉っぱを摘む作業も田舎暮らしの楽しみと最初は言っていたが今は地域のボランテイア活動で忙しくなり、それも出来なくなった。まあ、オクラが沢山できるので栽培を3年前に止めた。

 

オクラは今年もまだ、収穫が続いている。年々オクラの栽培が容易で長く収穫できるようになっていく感じがする。これは夏野菜全般に通じることなのだが。

 

もしかしたら、これは喜ぶことではなく、憂ことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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